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五木村 167
五木村の新しい町並みの一角にこの像がありました。
貧しい農家の娘が口減らしの為に人吉や熊本市内などの裕福な家に子守として奉公に出て
その切ない心を歌った歌。

この歌が流行ったのは昭和25年以降から30年頃にかけてだそうです。
 

                   おどま盆ぎり盆ぎり       
                   盆から先やおらんど
                   盆が早よ来りゃ 早よもどる

                   おどまカンジン カンジン
                   あん人たちァよか衆           
                   よか衆よか帯、よか着物

                   おどんが打死んだちゅて
                   誰が泣やってくりゅうきゃ         
                   裏の松山 蝉が泣く     
                   盆から先やおらんど
                   盆が早よ来りゃ 早よもどる

                   花はなんの花              
                   つんつん椿
                   水は天から もらい水

完全な肥後弁で、幼い頃に覚えた私はつい最近までその意味も分からないまま歌っていた箇所もありましたが、ここ五木村に来たことで、この歌を覚えた当時の幼い頃を想い出してしまいました。   
五木村 112

五木村の頭地橋から眺めた川辺川 (冬場は水が少ないとの事ですがきれいな水です)


この子守歌を覚えた頃私はまだ、小学校に上がる前の年齢でした。
当時、兄弟で通っていた日曜学校の先生がこの歌を教えて下さったのです。

つい数年前の事、熊本に住む姉から一枚の写真が送られてきました。
すでに長い年月が過ぎてセピア色でしたが、それを複写して送ってくれたのでした。

そこには、私の兄弟6人の内、5人が一緒に写っていました。
想像するよりも写真を紹介しましょうか。

20080117221708847_0001.jpg

たぶん昭和27年頃ではないかと思うのですが・・・・ 私がどれか解る方がいますかね~笑
ヒントは着物姿に被布を来た一番前の小さな女の子は妹で2才違いです。

一番左に写っている背広姿の方が、当時私たちに色んな聖書のお話しをして下さった、
吉井純男先生です。 いつも背広姿できちんとした清潔な先生でした。
兄に聞いて教えてもらったのですが、神戸の神学校を出て、高知市内に縁があって来られていたようです。
当時は皆、暮らしも今の時代とは比較にならない質素な暮らしでした。
テレビも車も一般家庭にはなくて、子供は近所の空き地とか山や川が遊び場でした。
そんな中で、この先生の話を聞きに行くのはとても楽しみでした。
泣き虫だった、私はいつも姉の手を握っていたように思います。
でも、いつも可愛いカードをもらったり、ささやかなお菓子を頂いたりすることが楽しみでした。
そのカードは、ある時は先生の手書きだったり、きれいな印刷のカラーの素敵な花だったり、祈りのサムエルの絵だったり、子供心に宝のように思えて、きれいな箱に大切にしまっては、そっとあけては、眺めていました。
それには、必ず一言の聖書の言葉が添えてありました。
少しづつ、増えていくことも嬉しかったし、その言葉が小さな心に知らず知らずに刻み込まれていったように思います。

ある時、家の庭さきで皆と一緒になって遊んでいるとき、先生が私を膝にだっこして
この歌を歌い始めたのです。
何故だったかわかりませんが、私は本当に泣き虫でしたので、可愛そうに思ったからでしょうか?

おどま~ぼんぎりぼんぎり~


そして、最後の   もらい水~の頃に必ず人差し指で天をさしてにっこり、優しい目でした。
すっかり、私は安心してにっこりしていたように思います。

色々聖書の話や子供の賛美歌も沢山教えて頂いて、楽しい気持ちになれました。
特に ザアカイのお話しの時には、身振り手振りで面白おかしくお話しして下さいました。
賛美歌はガリ版刷りで、手書きのかわいいひよこの絵が表紙だったように思います。
塗り絵の様に色鉛筆でひよこをきれいに姉がぼかして塗ってくれてうれしかったものです。
光の子供や、最後のお別れの時に歌う さようなら~みなさま と、お互いが向き合ってお礼をしながら歌う頃はすっかり笑顔の自分がいました。

そうして、しばらくして私の家族は私が小学校に上がる前に、両親の都合で別れることになり
兄弟はバラバラになってしまったのです。
姉は父方の祖父母の家に、兄二人は父と、もう一人の姉と私は母と、そして、妹は大阪の叔父の家に引き取られて別々に暮らしました。
そんな中、この先生がいつも葉書をそれぞれの兄弟に一週間おきくらいに励ましの言葉を添えて送って下さっていました。
いつも○○ちゃんの為に祈っているよといった、言葉が必ず添えてありました。
兄二人は遠い土地で夕日を眺めながら寂しい少年時代を送っていましたが、先生の葉書に慰められながら大切な宝ものだったとの、後に聞いた話ですが。
そして今はキリスト教関係の仕事をしています。
長兄は聖書の舞台になった場所を紹介する事をテーマのカメラマンとして、
そして次兄は金沢の能登半島のつけねに位置する内灘聖書教会の牧師として。
二人とも先生の意志をついだかのような生き様で、自らの事は本当に質素な生き方です。

後になって知ったのですが、この先生はわずか27才で肺の病で亡くなられたのでした。
 マザーテレサが貧しい貧民窟に自ら暮らしながら、伝道したように、
この先生も、自ら貧しい暮らしをしながら、子供達の心に本当の愛情を注いで生きていたのでした。

五木の子守歌は、自分の心情にも似た思いもあって、それでも最後は、天からのもらい水があれば・・・・と   この歌を歌っていたのかも知れません。
人を愛する事の、素晴らしい姿を幼かったのですが、はっきり覚えていて、今でもこの先生の事を想いだすと涙が頬をつたいます。 

そろそろ、日本も心の時代が来てもいいように思うのですが、難破船に乗っているような不安感の中、どこに向かっていくのか気がかりです。
弱い者いじめや、格差問題・・・・・たしかにお金がなければ何も出来ないかもしれない世の中ですが、お金のためにあまりにも見失ったものは大きすぎるように思うのです。

無関心・・・・これこそ、卑怯な生き方では?
そういう自分に、そんな立派な生き方が出来ている訳ではないけれど、
色んな出来事に関心を持って、
弱い者は進んで助け合っていける世の中になって欲しいと願っています。

おっちょこちょいでドジな私ですが、自分への戒めとしてしんみりと、幼い頃の想い出話でした。
あらゆる宗教が混在しながらも、対立することなく平和な日本ですが、
元々宗教心の強い日本人だと思うので、今の現状を宗教家が宗派を超えて力を合わせて、もっと子供の事や貧しい人、若者の心のよりどころになるような、寺子屋みたいな、場所が出来たらななんて思います。

年間の自殺者、3万人以上
いじめ問題
中小企業の倒産ラッシュ
弱者切り捨ての政治では悪循環の繰り返しで
結婚しない若者、子供を育てたくない夫婦が増えては出生率の低下も
当然かもしれないです。
これでは日本は世界からどんどん沈んでいくばかりです。
もったいない~~
日本人の素晴らしさが消えてゆくなんて。
どげんかせんばいかん~~と思います。

長くなってしまいました。
最後まで読んで下さった方、つたない文章でしたが
ありがとうございました。
                                         noa
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noaさんがどの子か、すぐにわかりましたよ(^^)
妹さんのすぐ後ろ、ちょっと横をむいているんですね。
ほんとだ、泣き虫さんだったのが、なんとなくわかるような気もします。でも、とってもかわいらしいですね。

素敵で立派な吉井先生ですね。
離れ離れになった兄弟姉妹であっても、心はいつもつながっていたのでしょうね。
先生の励ましがあって良かったですね。

ほんとに、日本はいったいどこに向かっていくんでしょうね。
先の見えないことほど、不安なものはないように思います。
昔はみんな貧しかったけど、それでも、
なぜか夢や希望があったんじゃないかと思いますね。

noaさん、素敵なお話をありがとう。
【2008/01/21 23:10】 URL | ゆみん #a.S0qIAE[ 編集]
ゆみんちゃん、こんばんわ~
大昔の想い出話につきあって頂いてありがとうねぇ~
時代が変化して頭がついてゆけない婆さんのひとりごとと思って下さい~

でも、私がどれかは、ぴたり賞ですね。
あらぬ方を向いていつも、泣き虫顔です。
今は面影もなく、厚かましい婆さんで吉井先生もびっくりかもです。

五木の子守歌、ここしばらく口ずさんでいたら、おいちゃんまでつい歌っていておかしかたです。
明日から又関東方面雪かもって予報でしたが、風邪ひかないように
通勤もがんばってくださいね。
(病院の階段あまり、探検しないように~~笑)
【2008/01/22 21:20】 URL | noa #-[ 編集]
夕方の忙しい時間にったくもぅ~~最後まで読んでしまったではないですか!(笑)オマケに書き込みまでしてるしぃ~(^^;)
なんて冗談じみて書いてしまいましたが、とっても心にしみるいいお話ですね、ねいさんがご兄弟と離れ離れに成られたのは本当にお辛い事だったと思います・・・が、皆さんしっかりと自分の道を歩まれ、幼い時にいい先生とご縁が有った事が今のねいさんに繋がっているんですね。

私達の幼い時は本当に貧しかった。。。でも、周りもそうだったように思います。でも気持ちは決して貧しくなかった。。。物を大事に使うこと、食べ物を粗末にしない事、よその家の子も自分の子供のように叱ってくれたこと、物が無いなりに工夫も有ったし。。。

日本の経済成長で目に見える生活は潤ったかも知れないけど、それ以上に失ったものが大きすぎるように思います。

あ、ねいさんの幼少のお写真、面影がちゃんと残ってますよ(笑)
今もきっと泣き虫なんだろうな(笑)

しっつれいしました~~m(__)m(^^;)
【2008/01/25 18:48】 URL | wind #tLotD3lc[ 編集]
windちゃん、お忙しい時間にすんません~
文才がないので、だらだらと書いてしまって、半分くらいにカットすべきでした。
自分で書いておいて、よく読んでみたら愚痴ともいえるかもしれませんので削除しようかと思っていたらゆみんちゃんが書き込んで下さって削除出来なくなりました。笑
古き良き時代はたしかに、貧しくても心はあったかくて豊かでしたよね。

そうそう、何でも便利になったので代用品を考えたり工夫をすることなど、しなくなってしまって残念ですよね。
頭が退化していきそう~

あっ、それから最近、滅多な事では泣きませんよ。
女は強くならざるを得ないですからね。

長い文章は、もうあまり書きませんので、又時々遊びにきてね~
【2008/01/25 22:05】 URL | noa #-[ 編集]
小学校に上がる前の幼い記憶が、いまだにこのように鮮明に残っていることに驚きを禁じえません。

私は当時中学2年生でした。吉井先生のクリスマス子供集会に妹の父兄のつもりで参加したのが初めてでした。手に手にろうそくを持って、部屋の明かりが消され先生の持っているろうそくの火から一人一人に火がともされてゆきました。みんなのろうそくに火がともされたときに聖書のヨハネ伝1章を吉井先生が朗読されました。「初めにことばあり、ことばは神とともにあり、ことばは神なりき。・・・これに命あり、この命は人の光なりき。」寂しかった心に火がついた瞬間でした。

いまだにこの瞬間の気持ちが、天を見上げることを忘れなくさせているのです。幼い日に受けた愛は生涯忘れられるものではないことを改めて、五木の子守唄は思い起こさせてくれました。
のあさん、ありがとう!
【2008/01/25 23:47】 URL | tabo #-[ 編集]
taboさん、コメントありがとうございました。

そんな光景すっかり忘れていたけど、その雰囲気が目の前に
ありありと見えるようです。
お互い残り少ない人生を大事にしましょう。

旅行先にすでに心は飛んでいるかと思いますが、くれぐれも
危ない所には近づかないでくださいね。
パレスチナ人エジプトへ脱出のにニュースですが
影響はないでしょうか?

ついて行きたい!!!

皆様によろしく~~
【2008/01/26 11:47】 URL | noa #-[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2018/06/27 19:06】 | #[ 編集]
読ませて頂きました!
貴女が五木まで出かけられたこと、先週 知りました。
大好きな吉井先生!愛された一人ひとりにとって、かけがえがない先生。思い出して胸がいっぱいです。
貴女の文章、たくさんの人を魅きつけています。ありがとう!
【2018/06/27 20:19】 URL | にじ🍀🎶🌈 #-[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2018/07/01 23:53】 | #[ 編集]














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